ダナンの街は・・・
ベトナム中部最大の都市で、あと数年もすれば人口100万人都市の仲間入りをするであろうダナン。ダナンと聞くとベトナム戦争当時のアメリカ軍最大の基地という印象を持ってしまうが、現在はその面影もなく、兵士がビジネスマンに変ったという感じの大商業都市になったというところだろうか。
ダナン自体にはこれといったものはないが、ダナン近郊には見所がいくつかある。世界遺産のミーソン遺跡、古い街並みの残るホイアン、長年人々の信仰を集めてきたとされ5つの連山からなるマーブルマウンテン、そしてベトナム人の気質、言葉、気候がここを境に分かれているといってもいいハイヴァン峠、ベトナム戦争当時の激戦地帯と虐殺村。
また近年ダナン近郊のビーチはリゾート化され、毎年多くの観光客がこのあたりのビーチに訪れている。
近郊のスポットへのアクセス都市という感じのダナンだが、街を歩いてみると意外に面白い。港町だけあって魚介類や市場に活気があるのはいうまでもないが、人々の気質、性格、表情を観察、比較するのが特におもしろい。
北部の人のような気難しさ、変な商売っけはないし、また南部のような感じもない。どちらかというと比較的南部に近いが、ベトナムには3つの国があるといわれるだけあって、中部にもなにか独特なものを感じる。
ダナン近郊
中部の商業都市ダナンはベトナム戦争中、アメリカ海兵隊が続々ベトナム本土に送りこまれるために最大の基地を作ったとされている有名なところである。 いまでも町に当時の面影があるかと思うが、現在ではそういった基地は全くなく、町はすっかりビジネス街と変化してしまった。スーツ姿の人間は見られないものの、一度は見聞きした大手企業の看板や商店が点在する。
町は日本人のビジネスマンもおおいのか、日本人を対象にした店やオフィスがいくつかある。
ダナンは戦争の基地の町からこういったビジネスの中心となる商業都市へと変化してしまったが、ダナンの町自体は小さいものなので、すこし町をでてみるといまだ手付かずの自然や素晴らしき場所が多く存在している。
中でもダナンの美しいビーチは有名で、最近はその美しい場所にリゾートホテルが立ち並び、多くの観光客が訪れるようになった。
ノンヌオックビーチもそのひとつで、ここは真っ白な砂浜が何キロにも及んで続く人気のビーチである。
ダナンには海にこんもり突き出ているソンチャー半島というのがあるが、ノンヌオックビーチからは白い砂浜とともにこの美しい半島とその景色が堪能できる。
特に早朝や夕暮れ時の景色は最高で、白い砂浜がソンチャー半島の方に湾曲して続いている様はみごとである。
早朝には現地の人達が海岸にでてきて散歩や体操をしているが、その姿はじつに気持ちよさそうだ。
またこの周辺には美しき海岸のほか、昔のチャンパ王国の遺跡群、長いあいだ地元民に信仰されてきたとされる5つからなる小高い山マーブルマウンテン、かつて日本人町もあったホイアンの古き街並み、そして近代的リゾートホテルと見所がたくさんあるので、ダナンや周辺の観光地に行かれたついでにこの美しいビーチに立ち寄られてはどうだろう。
ミーソン遺跡とは・・・
現在、ベトナムでユネスコの世界遺産に登録されているのは4箇所。山水画でも有名な中国の桂林に似ている事から「ベトナムの海の桂林」と呼ばれているハロン湾。昔の阮王朝があった古都フエ。交易の中心地として栄え、いまも当時の古い町並みが残るホイアン。そして4つめがこのチャンパ王国の聖地ミーソン(My Son)の遺跡である。
ミーソンは2世紀末から17世紀にかけてベトナム中部から南部にかけて栄えた当時のチャンパ王朝の建造物群のひとつで、いくつか現存している他の遺跡群よりも一番チャンパ王国が隆盛を誇っていた時期のものであるため、その歴史的価値はかなり高い。
そして漢字で「美山」としるされるミーソンは、中部の商業都市ダナンから約70キロほどに位置しているクアンナム省ズイスエン県(Duy Xuyen)のバオキン山の周囲にいまも残っている。
現存しているミーソン遺跡は専門家によりAからGまでの7つのグループに分けられていて、それらは約20の建築物からなっている。
そのグループの中でもB5と呼ばれる塔は極めて貴重なもののひとつであるとされている。
このB5の塔は10世紀ころの極めて貴重な建造物であると同時に、今日に現存するチャンパ芸術の中でも一番優雅で荘厳の造りであるとされている。
チャンパ王国はこの中部ミーソンで繁栄し、その後17世紀に滅ぶまで繁栄、衰退を繰り返してゆく。現在残っている遺跡群は、チャンパ王国が徐々に領土を追われ失っていくのがわかるように中部から南部にかけて点々と残されている。
現在この世界遺産ミーソンへは多くの観光客が訪れているが、ダナン、ホイアンを訪れ、その足でミーソンまでという人が多い。
先の戦争でこのミーソンに多くの兵士が隠れていたため、数回爆撃を受けこの貴重な建築群が所々崩壊しているのが残念だが、貴重な建築や煉瓦に彫られた像がいまも多数現存しているなど見所がたくさんある。
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